つっぴ君と 文化祭2

つっぴ君の通っていた高校は、けっこうゆるいかんじでした。


私たちが入学した年は、文化祭には前夜祭もありました。各クラスで出し物をしたり、生徒や先生がステージに上がって何かしら披露したりしていました。弁論大会も開催され、「串田商店を、愛情をこめてくしちゃんと呼ぼう」というスピーチが支持を集めたりしていました。別の弁士の生徒は「弁論大会と聞いて用意してきたが、真剣な議論の場ではないようなので、失礼します」と演壇を降りていました。真面目も不真面目もごちゃまぜな高校でした。


この年まで、生徒会が学校に対してかなりの発言力を持っていたようでした。制服の是非を問う投票などもありました。是非を問わなくても、着ない生徒は着ていませんでしたが。文化祭に前夜祭がついていたのも、この年が最後だったのではないかと思います。


古くからある高校だったので、校舎は老朽化しており、床下にメタンガスが溜まっているという噂もありました。いつだか横浜港でナフサが流出したときは、風に乗って流れてくるケミカルな香りが教室にも漂っていました。
古さでいうと、同じ学校区にある高校の中では2番目だったらしく、生物の先生が「朱鷺の剥製は、うちとそこにしかないんだよ」と誇らしく語っていたことを思い出します。その先生は「ひよこの解剖」の授業のとき、かわいらしいひよこのぬいぐるみを天井から吊るして生徒を待っていたり、剥製の作り方を原材料の調達から話してくれたり、今思えば、Sっ気の強い方でした。


いわゆる自由な校風のなかで、とんがった生徒もいっぱいいましたが、つっぴ君は全くとんがってはいなかったようでした。だらだらした生徒もいっぱいいましたが、つっぴ君は全くだらだらしてはいなかったようでした。部活、デッサン、バンド、バイト、休み時間には廊下でお友達と溜まって、しゃべったりじゃれたり。何か悪いことをしていたとしたら、自転車を木に吊るす程度のことだったのではないかと思います。それだって、もう高校ではしていなかったかもしれません。


大学に入学したつっぴ君が「うちの大学、ゆるい!!」と驚愕する姿を見て、私は「あの高校出ておいて、ゆるさで驚くかなぁ・・・」と不思議に思いました。それは、つっぴ君が私とは違うきちんとした高校生活を送っていたからだったんだと、最近になって気づきました。
その大学だって、実際にものを作り出さなければ何も認められないのですから、決して「ゆるく」はなかったと思います。ノートをコピーしたり、テストの前だけ慌てたりしていた私にすれば、つっぴ君の通っていた大学は「過酷」とさえ思います。


文化祭には、後夜祭もありました。キャンプファイヤーの周りに長い長い列を作って、ジェンカを踊りました。最後尾にいた私は、くぐもった声で背後から「すみません・・・」と肩に手をかけられました。「いえいえ」と振り返った私の後ろでジェンカを踊っていたのは、ダースベイダーでした。


その頃、つっぴ君は何をしていたのかなぁと思います。




喫茶赤字のマスコット、ペンギンです。
雀の子分もいたようです。


<速報>WORLD HAPPINESS 2009、チケットとれましたー!
つっぴ君も一緒に行くのだ。やったー!!