つっぴ君と アルバイト

つっぴ君は、高校時代もいろいろなアルバイトをしていました。


1年生、2年生の時は、年末年始の郵便配達のアルバイトをしていたようでした。2輪の免許は持っていなかったつっぴ君は、自転車で配達に回っていました。横浜駅東口の郵便局から出発し、浦島が丘のあたりを受け持っていたそうです。車で横浜へ行く途中に、そのあたりにさしかかると「この坂、この坂。ここを上ってたんや」と話してくれました。坂道が多く、自転車では大変だったと思うのですが「楽しかったでー」と言っていました。


その他に、いつなのか定かではないのですが、企業の紙ゴミの収集のアルバイトもしていました。お友達と二人で働いていたようでした。会社から社員さんの車で、契約している企業のビルへ行き、各フロア各部屋のシュレッダーした紙の入ったパンパンに膨れたポリ袋を回収するのです。これは会社の終業後の仕事なので、夜中だったようでした。「真っ暗なフロアを歩くんやでー」と話すつっぴ君は、今思い出してもプルプルわくわくするといった様子でした。
身体を動かす仕事も好きだったようですし、こういうちょっとした非日常な感じが楽しかったのでしょう。この時の「夜中のビルの中ってわくわくする」という体験が、大学時代の夜のビル掃除に繋がっていったのではないかと思います。


3年生の時は、さすがにアルバイトはしていなかったのではないかと思います。ただ、頼まれごとはよくしていました。
3年生の夏休みに、野球部の子の最後の地方選抜大会がありました。クラスで応援の横断幕を作り、たしか平塚球場へ応援へ行ったことがありました。この横断幕を作っていたのが、習字で段をもっていた女の子と美術部のつっぴ君でした。
体育祭と文化祭のためにクラスで作ったエプロンのレタリングも、つっぴ君は頼まれていました。この時は何人かのデザインの中から投票で決めたのです。今手元に残っているエプロンが最終的につっぴ君の手によるものか、実は全く思い出せません。でも、デザインを募集しても手を挙げるはずのないつっぴ君ですから、「デザインを出して」というのは頼まれて断れなかったのです。
図書館便りのロゴも頼まれて作っていましたし、鶴陵便りという学校の広報誌に載せる文章も、担任の先生に頼まれていました。そのときの図書館便りも、鶴陵便りも残っています。



で、その図書館便りを作ったのと、エプロンを作ったのは、私なのでした。

左端のイラストは、私のパクリ絵です。村下孝蔵さん、懐かしい方へ
http://www.youtube.com/watch?v=qMzp7RnI6vA