つっぴ君と うずらの卵

つっぴ君は、好きなものは最後に食べる主義でした。


あるとき、つっぴ君の八宝菜のお皿にいつまでもウズラの卵が残っていたことがありました。どれだけ八宝菜が減っても、ウズラの卵はお皿の一番端に転がっていました。私はウズラの卵が好きなので、それをほとんどお箸でつかまんばかりにして「いらないならちょうだい」と言いました。すると、つっぴ君は自分の聞いたことが信じられないといった様子で「なんでっ!?最後にとってあるんやん!」と答えました。
好きなものを一番最後に食べることは、常識中の常識と思っていたつっぴ君の目には、私の行動は前代未聞の犯罪行為に映ったようでした。


つっぴ君はカツ丼を食べる時も、カツを剥がして、その下のご飯部分を掘って食べていました。カツと白いご飯の黄金比をいかに維持しつつ食べすすめるかが、カツ丼を食べる際の腕の見せ所だと言っていました。ですから、私がカツ丼を上から順に、カツ、カツ、カツと食べる姿を見たとき、つっぴ君は「なにしてるのー!?」と悲鳴をあげました。「君のそれ、カツ丼じゃないやん!もう白飯やん!」と、つっぴ君は私のどんぶりをさして非難しました。


たとえばカツカレーなら、つっぴ君は「ライス」「カレーライス」「カツ単品」という、コース料理を食べているかのごとき食べ進め方をしていました。私は「カツ」「カレーライス」「ライス」と食べ、最終的には「つっぴ君、ご飯あげる」と白いご飯をつっぴ君のお皿によそっていました。カツが乗っているようなものの場合、私はカツも半分つっぴ君にあげていたので、食事の終盤にはつっぴ君のお皿には再びカツカレーが再現されていたのですが、そこからでもつっぴ君は「ライスだくカレー」「カレーライス」「最初より増えたカツ単品」のスタイルを崩しませんでした。


半熟卵ののったカルボナーラでもそうでした。この場合、半熟卵はカルボナーラを更に濃厚にするためのアイテムだと私は思っていました。でも、つっぴ君は違いました。まずカルボナーラを食べた後、半熟卵のみを半熟卵として食べていました。しばしば麺類の上に乗っている半熟卵、温泉卵はすべて同じように食べられていました。


好きなものを一番最初に食べる私には、つっぴ君の食べ方は不合理に感じられました。「最後までとっておいておなかがいっぱいになっちゃったら、おいしくなくなっちゃうんじゃない?」ある日そう聞いた私に、つっぴ君は答えました。
「おなかがいっぱいになることはない」
その点に関しては異論を差し挟む余地はありませんでした。この後も、つっぴ君は絶対にいっぱいにならない胃袋を武器に、好きなものを一番最後に、おいしく食べていました。




つっぴ君によるとカツ丼の醍醐味は汁を含んで卵と絡んでしっとりした衣にあるそうで、肉はおまけにすぎないのだそうでした。天かすみたいにカツの衣が売られていたら、きっと喜んだだろうなぁと思います。