つっぴ君と 花火大会

つっぴ君は、しばしば花火大会へ行きました。へそ曲がりのつっぴ君にしては珍しいことでした。


数年前まで、裏を流れる川の15分ほど川下で毎年花火大会がありました。隣駅まで行けば夜店も出ていました。この近所からでもよく見えるので、土手にはずいぶんな人出がありました。
もう来年からはやらないらしいという噂のあった夏、土手沿いを打ち上げ箇所の近くまで、ぷらぷら歩いて行きました。草に覆われた斜面には家族連れがシートを広げていました。土手に沿って建つ家のベランダには、友人を招いてBBQをしているらしい集団がいました。マンションのベランダには、柵にもたれて空を眺める人影が見えました。
川下に進むほど、土手のランニングコースも人でいっぱいになってきました。その辺りまでくると、川の対岸には夜店の明かりも見えました。もう、進むのをやめた人たちがそこここに腰を下ろしているのを見て、私たちも座って花火を見上げることにしました。


つっぴ君は「春だからお花見に行こう」とか「日本の夏は花火大会」とか「お正月は初詣」などと私が言うと「右翼や!」と断罪しました。「根拠がない。刷り込みや」と自己批判を迫りました。大きな花火大会には、どれだけ誘っても来てくれそうにはありませんでした。なので、この花火大会がなくなってしまうのは、とても残念なことでした。


そんなつっぴ君でしたが、いもうと夫婦が誘ってくれると別でした。いもうと夫婦が結婚した夏、新婚さん二人と一緒に山下公園まで花火を見に行ったことがありました。公園前で二手に分かれて、食べ物や飲み物を調達に行きました。確か明治屋の出店でチキンや何かを買ったような覚えがあります。公園は、もうずいぶん混雑していました。やっと敷いた4人分のシートの周りも、すぐに人で埋まっていきました。つっぴ君はカメラ片手におつまみを食べビールを飲み、寝転がってシャッターチャンスを待っていました。
花火大会も半ばを過ぎた頃、つっぴ君はお手洗いに立ちました。つっぴ君がいない間に花火はどんどん大きくなり、どんどん華やかになり、とうとうフィナーレを迎えてしまいました。つっぴ君は戻ってきません。ラストのスターマインのきらめきが夜空に消え、観客がシートをたたみ始めた頃、ようやくつっぴ君は姿を現しました。「トイレ、すっごい行列!!」席を立ってからフィナーレまで、つっぴ君は順番待ちの列で花火を見上げていたそうでした。


「もう二度と行かない!」とご立腹だったつっぴ君でしたが、その後も横浜に一度、東京の端っこの方の花火大会に一度行きました。横浜は以前とは比べ物にならないほどの人ででした。臨港パークへ入るのは諦めて、中央分離帯の草地にシートを広げて、花火を見ることにしました。私がガーリックジョーズで買ってきたテイクアウトのプレートを取り出すと、「おお〜!いいねぇ。気が利くねぇ」と大喜びでした。
「ここなら混まなくていいねぇ」と、また来る時の話をした中央分離帯ですが、きっと今はもう観客でいっぱいの大混雑スポットになっていることでしょう。