つっぴ君と かわいいおさるたち

つっぴ君は、おさるが好きでした。
伊豆だ、河口湖だと、よくおさるを見にでかけました。一番のお気に入りは波勝崎苑でした。


伊豆の向こう側に回って、すすきの原の間の急カーブを何回も折り返しながら坂を下ると、波勝苑の入り口でした。駐車場に車を止め、後ろを振り返ると、コンクリを流したような長い下り坂の向こうに、海が見えました。波勝苑の野猿たちは、海辺に暮らしているのです。
チケットを買い、売店を抜け、さびれた動物園のような檻の前を通り過ぎようとすると、檻の中のおさるたちが、何かくれくれと騒ぎました。私は、ここがおさるさんゾーンなのかと足を止めましたが、つっぴ君はその先に待つ何かを知っているかのように、どんどん坂を下ってゆきます。あわててついて行くと、砂浜、岩場に続く広場へ出ました。こここそ、本当のおさるさんゾーン、野猿がえさをねだったり、観光客の眼鏡をうばったり、おさる同士喧嘩をしたりする場所でした。


私たちは係員さんから、手荷物、眼鏡に注意をすること、食べ物を持って歩き回らないこと、おさると目を合わせないことを教えられ、餌やりゾーンへ向かいました。
売店兼食堂兼餌やりゾーンは、建物の片側が一面金網になっていました。すでに、内側には人、外側にはおさるがわらわらいる状態です。私たちは、遅れを取り戻すかのように慌てておさるの餌を買い、金網の前に陣取りました。つっぴ君と私はおさるの餌は「いいものの方が嬉しいに違いない」という理由で、少々お高いミカンを買っていました。しかし、金網の向こうのおさるたちは「質より早さ」を求めていたようで、私たちがミカンの房を分けるのが、まどろっこしくて見ていられない様子です。金網を揺すってきーきーいうおさるに、つっぴ君は「うるさいのー。ちょっと待ってー」と諭すように話しかけ、ミカンを一房、一房あげていました。
金網の一等地にへばりついている大きなさるがいました。大きなくせに機敏で、上下左右かなりの守備範囲を誇り、取っては口へ、取っては口へと、観光客からの餌を独り占めしていました。つっぴ君は、そいつにはやらないよう、やらないよう場所を変えてミカンを差し出すのですが、敵もさるもの、他の客の豆、つっぴ君のミカン、他の客のスナック、つっぴ君のミカンと、次々口へほおばっていきます。「もーーーー!こいつ、汚いのう!!」金網の隅っこには、まだ身体の小さいおさるもおり、金網にしがみつく権利さえ与えられない、地面に落ちた豆を拾っているもっと小さなおさるいました。つっぴ君はその子たちに餌をあげたかったのです。そのうち、つっぴ君は、大猿相手にフェイントをかけたり、他の観光客が餌をだすタイミングの裏で、小猿たちに餌をあげ始めました。この作戦はなかなかうまくいき、小さいおさるが無事ミカンを手に入れ、取られる前に金網を飛び降りて遠くでほおばる様を、つっぴ君は満足げに眺めていました。


餌やりゾーンから外へ出ると、ここにも、そこにも、ぽつりぽつりとおさるがいました。歩いていたり、走っていたり、座っていたり、砂の上にも石の上にもベンチの上にも、おさる用の遊具の上にもいました。切り立った崖の斜面にもいました。
おさるのイタズラを警戒する私をよそに、つっぴ君は悠然とおさるの間を歩いていました。カメラを持っていると、おさるに襲われると聞いたのに、つっぴ君に襲いかかるおさるはいません。つっぴ君は毛繕いするおさる、吊りタイヤで遊ぶおさるを、次々カメラに収めていきました。
おさると腹を割って話さんばかりに近づいても、お互い目を合わせるわけでもなく、同じ空気を共有していました。新しい形のムツゴロウかと思ったものです。


後日、旅行のお土産と写真を持って実家へ遊びに行きました。なんといっても大人気だったのは、おさるのあられもない姿を捉えた一枚の写真でした。私や母、妹が、その写真にきゃーきゃーいうのを、黙って見ていたつっぴ君は、帰宅して「君らが見てたの◯◯じゃないで。××の方やで」とぽつりと言いました。「訂正してくれたらよかったのに」というと、「言えるかw!!」と半ば吹き出すように答えていました。



このために波勝苑まで行きました。申年の年賀状です。


おさるとつっぴ君のリラックス空間です。