つっぴ君と ちゅうぼうS

つっぴ君は、子供が転げ回ってムキになって遊ぶ姿を見るのが好きでした。「あほーやのぅ」と言いながら、飽きずに眺めていました。
でも、それは小学生までの話でした。


つっぴ君は中学生男子には非常に厳しい態度で接していました。特に男子だけでつるんでいる中学生を見つけると「お!もてない君がおるで!」と私に知らせました。見れば、ごく普通の容姿容貌の男子中学生が友達と歩いていました。特に黄昏れたり、肩を落としている様子はなく、むしろ楽しげだったり、明らかにはしゃいでいる場合もありました。「もてない君なんて言ってー。楽しそうじゃん」と私がつっぴ君のヒドい言い草を責めると、「楽しそうに見えて心の中は切ないんやで〜。もてない君は」とさらなる誹謗中傷を重ねていました。


ある時は「お!君!Aボーイがおるでー」と私をつつきました。見れば、ごく普通の容姿容貌の男子中学生が友達と私服で歩いていました。「どこもオタクっぽいわけじゃないじゃんー」と言うと「頭の中はエヴァンゲリオンのことでいっぱいなんやで。かわいそーやのー」などと勝手な想像を巡らせたあげく「もてない君や」と決めつけるのでした。


「もてない君」「Aボーイ」あるいは「電車男」とつっぴ君が指差す彼らは、つっぴ君によれば「休み時間は男子だけで盛り上がり」「ゲームが好き」で「ヤンジャン読むのが関の山」のかわいそーな子供たちということでした。「それ、楽しそうじゃん」と抗議をすると、つっぴ君は静かに首を振り「君、わかっとらんのー」と言うのでした。


つっぴ君のもてない君に対する悪口は、愛情あるいじわるのようでした。あーだこーだと想像に基づいた難癖をつけている間、つっぴ君は口の端っこを少しだけあげて笑っていました。


つっぴ君はいつも中学生を「もてない君」よばわりをしていました。なので、私は高校生になると「もてない君」は卒業になるのかと思っていました。ある日、近所の高校の文化祭に遊びに行った時のことです。最近の文化祭はおとなしいと聞いていましたが、やはり静かな文化祭でした。もう夕方近くで、催し物も教室の喫茶店も後片付けを始める頃でした。つっぴ君は何を見るともなく、のんびりとあちこち歩き回っていました。ふと見ると、もう当番も終わったのか、男子高校生が何人かでつるんでおしゃべりをしていました。つっぴ君は彼らを見つけると言いました。「おお!もてない君や」


「もてない君」に卒業はないのだなぁと思いました。

つっぴ君と お買い物のおつきあい

つっぴ君は、お買い物には必ずついてきてくれました。ただ夕方、近所の生協に行くのでも「へーい」と返事をすると、そそくさ起き上がり付いてきてくれました。


スーパーには魅力的な商品がたくさん並んでいました。でも、つっぴ君が「おお!」と胸をときめかせてカゴに入れた食品は、しばしば後戻りをして棚に戻される憂き目にあいました。お惣菜コーナーでカツを手に取り「今日はカツ丼!」と声を大にして訴えても、「白菜が残ってるから八宝菜です」などと、1mの斟酌もなく却下されました。それでも、つっぴ君はお買い物には欠かさず付いてきてくれました。


私がカートを押そうとすると「代わりなさい」とカートを押し、「カゴ持ってきなさい」とカゴをセットさせ、さっさとカートを押して出発しました。私がカゴの中の品物の並び方が気になって、何度も並べ直していると、横を向いて笑って私の気が済むのを待っていました。レジに到着するとカートを私に引き渡し、店頭で一服しながら会計が終わるのを待っていました。会計が終わる頃を見計らって、店内に戻ると、大きなパッキングスペースで何度も品物を袋に入れ直す私を見ては、笑いをこらえて近寄ってきました。あるとき、つっぴ君はやはり何度も品物を袋に入れ直す私に「おにいさん、もう一発で君の気に入る袋詰めが出来る気がする」と言って、ぷーっと吹き出していました。


袋に品物が納まると「貸しなさい」と手を出しました。袋が一つの時は片手を出し、袋が二つの時は両手を出しました。三つ以上の時は一つずつ持って重さを確認すると「はい」と一番軽い袋を私に渡してくれました。両手に重い荷物を下げて歩くつっぴ君に「おねぇさんも持つ」と何回も手を出しましたが、つっぴ君は首を振るだけで荷物は渡してはくれませんでした。あるとき「絶対に私が持つ」と言い張ったことがありました。つっぴ君は「ほれ」と荷物を私に持たせると、しばらく黙って横を歩いていました。数メートル歩いたところで「ほらな」と急に口を開き、言いました。「歩く速度落ちとる」結局「君に荷物持たせると帰りが遅くなる」という理由で荷物は取り上げられてしまいました。


猫のトイレの砂が「固めて捨てるタイプ」だった頃、私はスーパーで必要に応じてもらっていい半透明の袋をいつも必要としていました。ロールになっているのをころころ引き出して好きなだけ取れるものです。その袋に、買った全ての品物をいちいちいれている私を見て、つっぴ君は「君、何しとるの?」と尋ねました。袋は欲しいのですが、使いもしない分までころころひっぱりだす訳にはいかないので、とりあえず全部「使っている」のだと説明すると、つっぴ君はやっぱり大きく吹き出しました。その後、猫のトイレの砂がニュータイプになり、私はその袋に執着しなくなりました。あるとき、つっぴ君は品物を袋に入れる私を見て、思い切り思い出し笑いをしたかと思うと言いました。「君、この袋にそれ、いれなくっていいの?w」


ころころ袋を引っ張りだしていた私の様子はよほど浅ましく滑稽だったのでしょう。思い出して笑うほどかと思うと、恥ずかしいかぎりです。

つっぴ君と ちびっこたち

つっぴ君は、子供が転げ回ってムキになって遊ぶ姿を見るのが好きでした。「あほーやのぅ」と言いながら、飽きずに眺めていました。


近所の小学校が校庭を解放していた頃、思い立ったように子供が遊ぶのを見に行ったことがありました。両手で抱えたボールを、バスケットゴールに向かってひたすら投げ続ける入学前の子供を見ては「ちっさw」と笑い、たった4人でサッカーに興じていたはずが仲間割れをしている子供を見ては「あほぅw」と肩を揺らして笑っていました。
小学生の野球チームやサッカーチームが練習している様子を見物するのも好きでした。校庭が施錠されるようになってからは、フェンスの外から練習や試合を眺めては「下手っぴぃやのう」と笑っていました。


一番最初の入院の時、まだ包帯もとれないまま近所の小学校に散歩に行ったことがありました。そこを目指してた訳ではなく、ぷらぷらしていたらたどり着いたのです。校庭の見える道路まで来ると、つっぴ君は足を止め、しばらく校庭を眺めていました。ちょうど昼休みだったのか、大勢の子供たちが外で遊んでいました。つっぴ君は再び歩き出すと、まっすぐ校庭へ入っていきました。
つっぴ君が校庭に現れると、3、4年生くらいの男の子が、近づいてきました。「鈴虫、見る?」その子供の問いかけに「おお、見せて」と、つっぴ君は答えました。「持ってくるから待ってて」と、その子は駆け出すと、すぐに箱を抱えて戻ってきました。箱の中にはたくさんの鈴虫が触角をわさわささせながらひしめきあっていました。つっぴ君が「ほ〜」と感嘆の声を上げると、その子は鈴虫の説明を始めました。
つっぴ君は説明に相づちを打ちながら、鈴虫に見入っていました。その子はつっぴ君に見えるように箱を抱えながら、つっぴ君の顔を何度も覗き込んでいました。そして、さもさりげない風を装いながら、聞きました。「怪我したの?」つっぴ君は箱を覗き込んだまま「手術したの」と答えました。「病気なの?」「そう。」「手術、痛かった?」「麻酔するから痛くないよ」つっぴ君が答えてくれることに安心したのか、その子は一番聞きたかったことを口にしました。
「腕から出てるの、何?」
つっぴ君の腕には点滴用の留置針とチューブがついていたのです。それが固定するためのネットの端から見えていたのでした。「これは、点滴するためのチューブ」つっぴ君が答えると、その子は「ふーん」と言いながら、やっとチューブをまじまじと見ることができたのでした。


休み時間も残り少なくなり、子供は箱をしまうと「バイバイ」と言って友達のところへ戻っていきました。つっぴ君も鈴虫のお礼を言って、小学校を離れました。帰り道で、つっぴ君は「おもしろいの〜」としみじみ言うと「鈴虫、見る?だって。自分がおにいさんのこと見たかったくせに」とぷぷっと笑いました。「包帯してチューブ付けてるんだもん。それは見たいよねぇ」と答えると「頭使ったんだろうなー、どうしようどうしよう、そうだ!鈴虫見せよう!」つっぴ君はまた吹き出していました。危うく改造人間にされるところだったかもしれないと話しながら、病室に戻りました。


その子は、たしかにつっぴ君の姿が奇異だったから興味をもったのでしょう。でも「怪我したの?痛かった?」と尋ねる顔は、本当に心配そうで申し訳なさそうでした。鈴虫も見せてもらって、おしゃべりもして、思いがけない入院や手術で気落ちしていたつっぴ君には、とても楽しいひとときでした。
彼ももう大きくなったでしょう。小学校に突如現れた謎の怪人のことは、もう覚えていないでしょうねぇ。

つっぴ君と 国民の義務

つっぴ君は、選挙が好きでした。欠かさず投票へ行き、夜は選挙速報に釘付けでした。


日曜日、ゆっくりお昼を済ませて家を出ると、投票所までは歩いてほんの数分でした。その道のりでは、同じような年頃の夫婦連れが同じ場所目指してぷらぷら歩いているのと一緒になりました。「みんな投票へ行くんだねぇ」などと言いながら、のんきな住宅街を抜け、のどかな遊歩道を過ぎると小学校が見えました。
投票所は私の出身小学校でした。あれもなくなった、これもなくなった、校庭が狭くなった、校舎がきれいになったという私の話を聞き流しつつ、つっぴ君は体育館へ向かいました。つっぴ君と私は粛々と投票を済ませ、新聞社の出口調査に捕まって、校庭へ出ました。


夕食が済むと、開票速報を楽しみにしていました。テロップが流れると「お!」と言って、見入っていました。大きな選挙では特番が組まれ、そうなると18時くらいからテレビの前を動きませんでした。「
朝生」や「TVタックル」や日曜日の朝の討論番組などを観ているつっぴ君には、知っている名前も多いらしく、また各党の党首や選対委員長などが各局ひっぱりだこでコメントする様子を大喜びで観ていました。
「ご近所はみんな投票に行ってたみたいなのに、投票率低いねぇ」とか「このヒトお化粧崩れてるよ。TVなんだから直さないと」などと言おうものなら「この人たち寝てないんやで。目も充血して顔も脂ぎって当然や。これが選挙やで」とお説教を食うことになりました。それでも、つっぴ君があまりに熱心にTVを観ては笑っている姿に「何か面白いのかもしれない」と家事の手を止めて開票状況や得票率をつっぴ君に尋ねました。つっぴ君は実況しつつ、スタジオにコメンテーターとして来ている現職議員などに「こいつものー」などと文句を言いながら、私に解説をしてくれました。


もしかしたら、とても真面目に日本の将来を考えているのかなぁと思ったこともありました。でも駅前に立つ立候補者を横目に「君も出ろや。面白いでー。楽しいでー。通るでー」と言い、派手なスタッフジャンパーを着た私を想像して大笑いする姿に「そうでもないかもしれない」と思いました。投票を済ませ小学校を後にしたつっぴ君は「君の小学校の校章、変なのw」と笑っていました。


今日の都議選はつっぴ君のお眼鏡にかなう面白さだったのかしらと思います。




先日書いた、つっぴ君がグラタンピザを気に入って、いもうとたちを連れて行ったお店です。
http://www.ggc-tsurumi.com/food.html

つっぴ君と 花火大会

つっぴ君は、しばしば花火大会へ行きました。へそ曲がりのつっぴ君にしては珍しいことでした。


数年前まで、裏を流れる川の15分ほど川下で毎年花火大会がありました。隣駅まで行けば夜店も出ていました。この近所からでもよく見えるので、土手にはずいぶんな人出がありました。
もう来年からはやらないらしいという噂のあった夏、土手沿いを打ち上げ箇所の近くまで、ぷらぷら歩いて行きました。草に覆われた斜面には家族連れがシートを広げていました。土手に沿って建つ家のベランダには、友人を招いてBBQをしているらしい集団がいました。マンションのベランダには、柵にもたれて空を眺める人影が見えました。
川下に進むほど、土手のランニングコースも人でいっぱいになってきました。その辺りまでくると、川の対岸には夜店の明かりも見えました。もう、進むのをやめた人たちがそこここに腰を下ろしているのを見て、私たちも座って花火を見上げることにしました。


つっぴ君は「春だからお花見に行こう」とか「日本の夏は花火大会」とか「お正月は初詣」などと私が言うと「右翼や!」と断罪しました。「根拠がない。刷り込みや」と自己批判を迫りました。大きな花火大会には、どれだけ誘っても来てくれそうにはありませんでした。なので、この花火大会がなくなってしまうのは、とても残念なことでした。


そんなつっぴ君でしたが、いもうと夫婦が誘ってくれると別でした。いもうと夫婦が結婚した夏、新婚さん二人と一緒に山下公園まで花火を見に行ったことがありました。公園前で二手に分かれて、食べ物や飲み物を調達に行きました。確か明治屋の出店でチキンや何かを買ったような覚えがあります。公園は、もうずいぶん混雑していました。やっと敷いた4人分のシートの周りも、すぐに人で埋まっていきました。つっぴ君はカメラ片手におつまみを食べビールを飲み、寝転がってシャッターチャンスを待っていました。
花火大会も半ばを過ぎた頃、つっぴ君はお手洗いに立ちました。つっぴ君がいない間に花火はどんどん大きくなり、どんどん華やかになり、とうとうフィナーレを迎えてしまいました。つっぴ君は戻ってきません。ラストのスターマインのきらめきが夜空に消え、観客がシートをたたみ始めた頃、ようやくつっぴ君は姿を現しました。「トイレ、すっごい行列!!」席を立ってからフィナーレまで、つっぴ君は順番待ちの列で花火を見上げていたそうでした。


「もう二度と行かない!」とご立腹だったつっぴ君でしたが、その後も横浜に一度、東京の端っこの方の花火大会に一度行きました。横浜は以前とは比べ物にならないほどの人ででした。臨港パークへ入るのは諦めて、中央分離帯の草地にシートを広げて、花火を見ることにしました。私がガーリックジョーズで買ってきたテイクアウトのプレートを取り出すと、「おお〜!いいねぇ。気が利くねぇ」と大喜びでした。
「ここなら混まなくていいねぇ」と、また来る時の話をした中央分離帯ですが、きっと今はもう観客でいっぱいの大混雑スポットになっていることでしょう。

つっぴ君と ぴっかぴかマシーン

つっぴ君は、整理整頓が好きでした。
会社で使っていた私物の中に、黒いトレイがありました。引き出しに入れて、文具類をきれいに収納するためのものです。つっぴ君はこのトレイを買うために、あちこち文房具屋さんを巡っていました。ハンズでつっぴ君がこのトレイを手に取り「おにいさん、これ買う」と言ったときは、「やっと決まったねぇ」としか思いませんでしたが、会社から戻ってきた私物の中にこれを見つけた時「ほんとに気に入って買ったんだなぁ」と思いました。家でも同じ物を使っていたからです。


つっぴ君はお掃除も好きでした。しばしば白物家電を磨いていました。さすがに冷蔵庫の中のトレイを外すまではしていませんでしたが、白物家電がみるみる本来の白さを取り戻していく様子が好きだったようでした。炊飯ジャーやポットなど、冷蔵庫なら前の扉全面を真っ白に拭きあげていました。
白くなくても、お手頃サイズで磨ける物なら磨いていました。私がいいかんじに照りを出していたヤカンなども、ぴかぴかに磨き上げて「ほらっ!」と目の前に突き出してみせました。私はそこはかとなく自分の顔が映るヤカンに「すごいねぇ。ありがとう」と言うよりほかはありませんでした。


つっぴ君は、みるみるきれいになっていく様を見るのが好きでした。完璧にきれいになっているのを見るのが好きでした。なので、引き出しの中とか炊飯ジャーなど範囲が限られているものにしか、清掃意欲をそそられないようでした。掃除機などには目もくれませんでしたし、お風呂掃除もほとんどしませんでした。「だって、やっても完璧にきれいにならないんだもん」と言うつっぴ君に、私は「それが家事というものです」と諭すようにいいました。でも、つっぴ君にとって「お掃除」は一つの余暇の過ごし方で、決して家事にはなりえませんでした。


会社でのつっぴ君の机は、たぶん、たぶんですがきれいに片付いていたのではないかと思います。それは「ここ、俺の領土」で「完璧に片付ける」ことが出来たからだと思います。
完璧に片付けるには少々広すぎたつっぴ君の部屋は、紙の物が散乱していました。



カメラが壊れちゃったので最近画像がアップできません。がっかりです。

つっぴ君と 肉食系大盛り

つっぴ君は、お肉類が好きでした。
それではステーキが大好きかとか、しゃぶしゃぶやすき焼きの食べ放題に行きたがるかというとそうではありませんでした。


コストパフォーマンス面から、お肉食べ放題より長崎ちゃんぽんやCoco壱番屋でおなかいっぱいになったほうがいいということもありました。丸ごと肉より、ハンバーグの大きいのの方が安いということもありました。事実、わらじハンバーグとの衝撃の出会いは忘れられないらしく、何度も「大きかったー、大きかったんやでー」と話してくれていました。固まり肉をがっつり食べるという計画は立てても立てても、つっぴ君に「NO」と言われました。


しゃぶしゃぶの食べ放題に行ったとき、「お代わり頼もうか?」と聞く私に、つっぴ君は「マロニーちゃん二人前」と答えました。健康的に野菜もいっぱい、きのこもいっぱい、そして好きなだけお肉を食べてもらおう!と思っていたのに、意外な伏兵マロニーちゃんに私の「よかれと思った」野望は打ち砕かれたのです。
確かに日頃「マロニーちゃんはデンプンだからダメ。緑豆春雨にします」と言って、マロニーちゃんを我慢させていました。でも、しゃぶしゃぶの食べ放題に来て、このオーダーはあり得るでしょうか。「マロニーちゃんと、お肉も頼もうね」と言って、私はお肉も注文しました。


つっぴ君がまだ若手だった時、先輩社員さんに大きなお肉を食べに連れて行っていただいたことがありました。とても大きなお肉で、普通一人では食べきれないということでした。こいつなら食べられるのではないか、俺なら食べられますよ、ということで、ごちそうになることになったのだそうです。永福町の有名なステーキのお店でした。仕事を終え、連れ立って向かったお店は満員で、外にまで順番待ちの人の列が出来ていました。つっぴ君たちも列に加わり待っていると、お店の方が待っている間にどうぞ、とポテトか何かを出してくれたと聞きました。


果たしてつっぴ君はその大きなお肉を食べきれたのか。結論から言うと食べきれなかったのでした。「並んでる間に食べ過ぎた・・・」つっぴ君はのちのちまで悔いるとともに「肉、うまかったなぁ〜」と巨大肉の味を思い出してはため息をついていました。


そのお店にいつか行きたいと思っていたのですが、行けずじまいでした。他には「リベラへ行こう」とか「デンジャーステーキへ行こう」という計画をたてはしたものの、やはり実現しませんでした。
永福町で返り討ちにあったことが、もしかしたら忘れられなかったのでしょうか。きっと、とてもおいしかったのだと思います。



Mr.デンジャー松永光弘選手のステーキ屋さんです。
http://www.mmjp.or.jp/CM-SHOP/mrdenjy.html

プロレスラーに人気という評判のリベラです。
http://homepage3.nifty.com/oogui/page1-ribera.html